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最高裁判所第三小法廷 平成4年(オ)1929号 判決

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人山本博文の上告理由について

民法五五七条一項により売主が手付けの倍額を償還して契約の解除をするためには、手付けの「倍額ヲ償還シテ」とする同条項の文言からしても、また、買主が同条項によつて手付けを放棄して契約の解除をする場合との均衡からしても、単に口頭により手付けの倍額を償還する旨を告げその受領を催告するのみでは足りず、買主に現実の提供をすることを要するものというべきである。しかるに、原審の適法に確定したところによれば、上告人の手付倍額の償還は、いずれの場合も口頭の提供をしたのみであるというのであり、記録によれば、売主である上告人は、買主である被上告人に対して手付けの倍額を支払う旨口頭で申し入れた旨を主張するにとどまり、それ以上に現実の提供をしたことにつき特段の主張・立証をしていないのであるから、原審が契約の解除の効果をもたらす要件の主張を欠くものとして、売買契約解除の意思表示が無効であるとしたのは正当であり、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に基づき又は原審で主張していない事実に基づいて原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官千種秀夫の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官千種秀夫の補足意見は、次のとおりである。

民法五五七条一項にいう手付けの倍額の「償還」の意義について、若干補足しておきたい。

売主が手付けの倍額を償還して契約の解除をする場合の手付けの倍額の償還は、金銭を相手方に交付するという行為の外形からすれば、債務不履行の責めを免れるための弁済の提供に類似する面があるけれども、手付けの償還は、売買契約の解除という権利行使の積極要件であるから、債権者の受領を前提とした弁済の提供とはおのずからその性格を異にし、相手方の態度いかんにかかわらず、常に現実の提供を要するものというべきである。もとより現実の提供といつても、相手方の対応等によりその具体的な態様は異ならざるを得ないのであつて、買主に対して手付けの倍額に相当する現金を交付する場合もあれば、今日のように銀行取引の発達した社会においては、取引の状況によつては、いわゆる銀行保証小切手を交付するなど現金の授受と同視し得る経済上の利益を得さしめる行為をすれば足りる場合もあるであろう。しかし、いずれにしろこれを相手方の支配領域に置いたと同視できる状態にしなければならないのであつて、これが同条項にいう「償還」の語意にも合致するゆえんであると考える。

従来、とかく、その外形の類似性から、手付けの「償還」に関して、債務の履行としての弁済の提供と明確に区別をすることなく論じられているかにみえることに鑑み、一言補足する次第である。

(裁判長裁判官 千種秀夫 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 大野正男)

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